甘くなかった出産。途絶えたキャリア。産後うつ、育児ノイローゼを乗り越えて。

私の出産と仕事について書きたいと思います。

 

ワーカホリックとも言えるような働き方をしていた私ですが、

結婚と出産によって、自分のキャリアが途絶えるとは夢にも思いませんでした。

女性ならではの悩みにぶつかり、

慣れない育児で心は疲弊しきっていました。

 

出産後すぐの仕事事情

私は1人で仕事始めてから、約8年になります。

出産によって、会社に戻れなくなるとは思ってもみませんでした。

そのお話は長くなるので別記事にまとめています。

 

起業したワケ。産後戻る場所のなかった私。

 

起業と、言っても、娘が小さいうちは、

なかなか思うように動けないことの方が多かったです。

 

 

現在は生まれ育った地元に夫と娘と住んでいますが、

高校卒業して地元をずっと離れていた私は、

出産も最初の子育ても大阪市内でした。

 

お義母さんはフルでお仕事してる人だったし、

実母は当時は末期ガンだった父の世話で、

なかなか来てもらえる状態ではありませんでした。

なので、里帰り分娩もしませんでした。

 

娘が昼寝している時間や、夜寝静まった後に、

WEBの仕事をしたりアクセサリーの製作をしていました。

 

でも、子供なんてこっちの思い通りに動いてくれるわけもなく、

なかなか集中して仕事に打ち込めませんでした。

 

勤めていた会社の事業部はなくなったから戻る場所もない。

ということは、大阪市北区の保育園なんて簡単に入れない。

たまに一時保育に預けてはいましたが、金額も高く頻繁には無理でした。

 

何よりも、出産後、体調を崩していた私は、

精神、身体共にとても不安定だったので、

社会から取り残されたあの孤独感に耐えられませんでした。

 

仕事が生きがいのような私でしたが、

本当は、がむしゃらに仕事をすることで両親、特に母に認めてもらいたかったんだろうな、

と今ではとても分かります。

 

予想外の体へのダメージ

出産前までバリバリと好きな仕事をしていた私は、

初めての出産で切迫早産、妊娠高血圧で寝たきりになり、

自分の体が予想以上にボロボロなのに自宅でほぼ一人で授乳や寝かしつけ。

 

気分のいい時は可愛く見える赤ちゃんも、

気持ちが苦しくなった時には、ただの足枷にしか感じませんでした。

 

夫は仕事も忙しく、早くは帰ってこれませんでした。

 

残業が続く日も多く、私が娘と寝てしまっている日には、

私は誰とも話すことなく1日を終える日も多かったように思います。

 

そんな中でも、夫は遅くに帰ってきてから洗濯してくれたり、

慣れないご飯を作ってくれたりと、一生懸命でした。

頑張ってくれる夫がいなければ、私は自殺していたと思います。

体調が悪く、動き回れなかったのが幸いだったかもしれません。

 

自分を責める毎日

それでも孤独感と疎外感、無価値観に苛まれ、

想像以上にしんどい子育てに、

 

『死にたい、なんで私子供産んだん?』

『やっぱり私には子育てなんて無理やったんや』

『私は我が子を愛せない最低な母親だ』

 

と、以前のうつ状態が一気に戻ってきた感覚でした。

 

毎日死にたい思いに囚われ、

泣いてる娘を見てはヒステリーを起こし、

怒鳴っては罪悪感に押しつぶされそうになり、

娘を抱きしめては

『ごめんね、こんな母親で・・・』

と泣いてばかり。

 

親しい友達も近くにいない。

両親はガンのことで大変。

お義母さんも仕事で大変だし・・・

 

誰にも弱音を吐けませんでした。

 

事情がなくても、頼ることが苦手な私は相談できなかったと思います。

 

夫が頼った先は・・・

子供を授かるまでは、子供を産めば当たり前に母になり、

愛せるものだと思ってるところもありました。

 

『母親のくせに、子供を愛せないなんて・・・』

 

唯一、夫には感情をぶつけたりもしていましたが、

言ってることが支離滅裂なうえに、

疲れて帰ってきて、子供なんて産むんじゃなかった!とか聞けば、

誰でも疲弊するのは当たり前だと思います。

夫も相当疲れていたと思います。

 

それでも、いつも向き合ってくれていた夫は、

大阪市の保健福祉センターに相談していました。

一時保育でもいいから、なんとか妻の負担を減らしたい、と。

 

ある日、保健師さん2人が訪ねてきました。

1人は私と旦那の普段の様子を聞いてきました。

もう一人は、

『よしよし、おばちゃんがおむつ替えてあげるね~』

と言いながら、替えていましたが、

(ああ、ああやって体中チェックして虐待してないか見るんだな。)

 

とちょっと嫌な気持ちにはなりましたが、

とても優しい保健師さんたちで、

私の状況を親身になって聞いてくれた記憶があります。

 

そして、ママ友さん作ろうよ、とか、

近くの支援センターで母子交流会あるから、

お母さんも一緒に行ってみましょう、とか、

いろいろ勧めてくれましたが、

一応付き合ってはみたものの、

ママ友を新しく作ることはしませんでした。

 

そんな気力もなかったのです。

 

でも、保健師さんの紹介で、

週に2回だけ、一時保育を快く受けてくださった保育園がありました。

 

後日知りましたが、その保育園の園長と、

地元に戻ってから通っていた保育園の園長はよく知った間柄だったみたいです。

世間って本当に狭いなあ・・・。

 

一時保育に預けだして、やっと自分一人の時間ができ、

少しずつ少しずつ心も安定してきました。

 

心に余裕を持てて気が付いたこと

私に足りなかったのは、

『人に甘えるということ』

でした。

 

きっと忙しいにちがいない
きっと迷惑にちがいない
きっと断られるに決まってる

 

ちゃんと母親出来てないと思われたくなくて、

批判、否定されるのが怖くて、

私は強いって思われてるんだから、

そんなことが頭の中をグルグル回っていました。

 

身内でも他人でも、しんどい時は本気で頼る、

私が一番苦手なことでした。

 

こうやって他人に助けてもらい、

私は1人じゃないと思える経験が増えていき、

どん底の精神状態から少し浮上したところで、

次は父がガンで亡くなりました。

 

父のことはまた改めて触れますが、

一緒に病院へ行ったり、

ガンのことを散々調べて担当医と一緒に戦った、

そんな感じだったので、悲壮感はありませんでした。

 

もちろん、今でもいてくれたら・・・と思うことはたくさんあります。

 

この父の死がキッカケとなり、

私は約20年ぶりに地元に帰ることになります。

 

一人で抱え込まないでほしい

今もまだ子供のことで苦しく思うこともあります。

でも、悩んで、泣いて、頭を打っても、

今は胸を張って言えることがあります。

 

それは、同じ状態は一生続かないということ。

 

出産後数年は、長い、長い、出口のない、

真っ暗闇のトンネルを一人でさまよっている感覚でした。

 

 

私よりもっと大変な人がいる、

あんたより孤独な子育てしてる人いる、

 

そうかもしれません。

 

何を言いたいのかというと、

しんどさ、辛さなんて人にはわからないんです。

思いを馳せることはできても、

本当に理解なんてできません。

 

でも、寄り添うことはできるんじゃないか

 

って思ってます。

 

日本の母親神話で弱音を吐けないママ。

 

これくらいのことで子育てしんどいって言ったらいけないんじゃないか?

子供を愛せてないって批判されるんじゃないか?

そんな思いで辛い感情を押し込めていても、

私みたいに行き場をなくすだけ、

私みたいに死にたくなるだけ。

 

自殺したり、悪意を子供に向けてしまう前に、

勇気を出して誰でもいいから助けを求めてほしい・・・。

 

世のお父さんにお願いしたいこと

少しでいいんです。

お母さんが1人になれる時間を作ってあげてください。

子供と離れる時間を作ってあげてください。

 

離れてる時間もお母さんは子供が気になります。

でも、それでも煮詰まってるお母さんには一人の時間がいるんです。

 

近所のカフェでコーヒー飲むだけでも違います。

夫が自分を気遣ってくれているという温かさを感じるだけでも違います。

お父さんたちも仕事で疲れているでしょう。

でも、でも、少しでいいんです。

 

私はなかなか甘えることができなかったけれど・・・。

 

それでも、ここまできました。

娘は10歳(2021年現在)

私も母親歴、まだ10年。

 

まだまだこれから。

娘ともいろいろあるでしょう。

でも、死ぬときに笑える人生にしたいと思っています。

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筆者プロフィール

rie-ueno
rie-ueno
上野理恵(うえのりえ)

アール代表兼デザイナー

美容師、アパレル販売員、アパレルデザイナーを経て現在アクセサリーデザイナー、講師として活動中。

数年前にヨーロッパの伝統的な刺繍の一つ、ソウタシエに出会い、技術として取り入れる。現在は独自のソウタシエアクセサリー講座を開催。

ソウタシエだけではなく、ワイヤーワーク、ミシン加工による作品展開など、専門分野は多岐に渡る。

カタチや枠にとらわれない自由な発想とデザインによる完全おまかせのオーダーアクセサリーが一番人気。リピーターも多い。

少しトーンの低い声で繰り出す大阪人特有のキャラクターが親しみやすいとの声も。

甘くなかった出産。途絶えたキャリア。産後うつ、育児ノイローゼを乗り越えて。”へ4件のコメント

  1. ゆうか より:

    私は今、同じような気持ちです。
    早く働きたい、でも私の今やるべきなのは子育て。分かっているけど育児向いてないと思ってしまいます。主人はいつも通り仕事して大変な時いないし、、

    1. rie-ueno より:

      ゆうかさん
      初めまして。コメントありがとうございます。子育ては休もう、やめようと思ってできることではないのでしんどいですよね・・・。なかなか男性にはわかってもらえない葛藤だと思います。私の場合はもう時間が解決していったというしかない状態でしたが、ゆうかさんも少しでも一人の時間を作れたらいいのですが。

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